The link at the date of the calendar is an entry.
日英友好 音吉さんについて
2008-02-20 Wed 22:48
三浦按針以降、イギリスと日本の外交はどうなったのだろう

三浦按針が日本で亡くなりそれからちょうど、200年後に
生まれた音吉という水夫について調べてみました。

音吉 1819年(文政2年)尾張国知多郡小野浦(現愛知県知多郡美浜町)に生まれる。
水夫であった音吉は、キュウキチ、イワキチと、ともに船で太平洋横断を成功させる。
米国に到着しその後に、商船で英国に渡った。
英国の土を踏んだ初めての日本人と思われるうちの一人、
オトキチは、英国の市民権を取得し、ジョン・マシュー・オトソンという名前を名乗った。
後に、英国海軍の通訳として二回、日本に帰国している。


Otokichi.jpg


その後音吉は上海に渡り、デント商会に勤めた。
その後1849年(嘉永2年)イギリスの軍艦マリナー号で浦賀へ行く。
また、1854年9月にイギリス極東艦隊司令長官スターリングが長崎で
日英交渉を開始したとき、再度来日し通訳を務めた。
この頃にはジョン・マシュー・オトソンと名乗っていた。

その後マレー人と結婚。1862年(文久2年)はじめ音吉は上海を離れ
、シンガポールへ移住し、その地で幕府の遣欧使節団の森山栄之助らに会っている。
1867年(慶応3年)、息子に自分の代わりに日本へ帰って欲しいとの遺言を残し
、シンガポールにて病死。享年49。

ちなみに、息子のジョン・W・オトソンは1879年(明治12年)に日本に帰り、
横浜で入籍許可を得て名前は「山本音吉」となった


飛行機なんてなかった時代に船で旅をし、外国にいくのは
大変であったと思う
今だって、大変なのにね・・

やっぱり誰しも、祖国には帰りたいと思うんだろうなぁ

200年後に按針が生まれ変わったのが音吉だったりしてね。
別窓 | 日本とイギリスの歴史 | コメント:0 | トラックバック:0
| ヘブデンの谷 子供とふたり暮らし |
12カ国語達人のバイリンガルマンガ 12カ国語達人のバイリンガルマンガ